"ビットコインは終わった" という言説について
仮想通貨関連の話題として、 ビットコインは終わった
という言説、主張をたまに見かけます。
そしてビットコインが2017年に加熱する以前から仮想通貨、ブロックチェーンに興味をもって触っていた人にとって見れば、
その言説に何か違和感を感じるような人もいるかと思います。
そこでビットコインは何が終わった、何が終わっていないのか、を考えてみました。
ビットコイン終わった
派の主張
ビットコインが「終わった」という主張の例として、書籍 After Bitcoinを挙げてみます。 この本の帯には、こう書かれています。
ビットコインは「終わった」。 ブロックチェーンは「これから本番」。
この本は2017年10月に発行されており、その時はちょうどビットコインの価格が1BTC70万程度の時期でした。 そのあと2017年12月の1BTC200万を突破する直前の時期で、ビットコインはバブルなのかという声が聞こえる一方で、 ビットコインやアルトコインが軒並み値上がりしている時期でした。
この高騰の渦の中で、ビットコインが決済システムとして以下の欠点があることを冷静に指摘しています。
- 脆弱性: ビットコインを管理するシステムが脆弱であり、保管も課題があるため、流出のリスクが伴う
- 偏在性: クジラと呼ばれる大口保有者が全体の大半を保有している
- 非通貨: 通貨としてビットコインを使用しているユーザはごくわずか
- 投機性: 投機的な価格変動があまりに激しい
- 集中性: 前取引の大半が中国元を占める
- 崩壊性: 半減期によるマイニング報酬の減少や、政府の介入リスクが伴う
上記のように、通貨、決済システムとして弱点があり、使えるレベルではないのでは、という主張を行っています。
実際、2018年度には投機熱がかなり高まったため、2017年12月には1BTC230万円超えを記録したものの、現在は約1BTC40万円ほどで、約6分の1ほどに下落しています。
ビットコイン終わっていない
派の主張
ビットコインはもともと サトシ・ナカモト氏の論文 で中央管理者が不在の状況で不可逆な価値の取引を実現するシステム として提唱され、現在のビットコインはそれを実現しています。
ビットコインが稼働し始めてから現在に至るまで、この 管理者不在で価値の取引を実現する
という目的は達成されており、欠陥が見つかったわけではありません。
むしろこれだけ多くの人に注目を集めた状態でも、仕組みそのものに欠陥が見つからなかったことは、よりこの仕組みが強固なものと証明されたという考え方もできるかもしれません。
またビットコインは一種の "価値の保存形態" としての地位を確立しており、いわゆる金に近いような性質を持ちます。 金は希少であり、金属的に特殊な性質も持つものとして、中央銀行の情勢の影響を受けにくい資産として認識されていますが、ビットコインも発行量が限定されており、 数学的に特殊な性質持つものとして扱うことができます。この管理者不在で価値を保てるという仕組みが一定程度認められているため、資産としても価値があるとも言えます。
2018年度に下落自体は確かに起こりましたが、2017年1月の1BTC15万に比べてれば、現在はそれよりも遥かに高く、単純に投機熱が高まって冷めただけのこととも見えます。
両者の主張まとめ
とりあえず私が思う両者の主張を書いてみましたが、2017年度の加熱期以前から興味を持っている方は、後者よりなのではないでしょうか。
ビットコイン終わったと思っている人は、ビットコインが現在の金融システムをすげ替えてしまう素晴らしい仕組みで、もっとビットコインによる決済が身近になると 考えていた人が、それが当面実現されないと感じたのではと考えます。After Bitcoinの著者もビットコインはそんな優れた決済システムではないよと指摘しており、その意味で "終わった" という言葉を使用しているのかと推察します。
その一方で、もともと管理者不在の価値の取引の仕組みとして着目している人にとっては、現在は一歩一歩課題をクリアしている段階で、外野が勝手に夢見て幻滅しているのは構わないが、 本質は何も終わっていない、と考えてるのかなと思います。